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2021/11/26

管理職の「二刀流」

先週、大きなニュースが飛び込んできました。
大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手が、全米の
担当記者による投票で満票の支持を獲得し、
MVPに選ばれたというニュースです。
見事な成績を残した上に、ベーブルース以来の
“二刀流”を完全に実現した大谷選手。
どちらかというと型にはめようとする日本の
スポーツ界の中で、独自のスタイルを固持し、
彼をここまで導いたものは何だったのでしょうか。
 
恵まれた体力・精神力、幼少期から高校時代に
至るまでの野球の指導方法、さらには家庭での
育成環境等、様々な要因があり、それぞれが
上手く相互作用し、今の大谷選手を作り上げたと
思われ、要因を絞り込んだり、ウエイト付けを行う
ことはできないように思います。
 
ただ、日米ともに反対派も多かったこの“二刀流”
が消えることなく、彼の確固たる武器になったこと
については、高校卒業後に入団した日本ハムの
フロントと栗山監督(現在は前監督)の存在が
大きかったように思います。
 
高校時代の大谷選手は、甲子園出場こそ1度で
したが、投手としても打者としてもその能力は高く
評価され、国内球団だけでなく、メジャーリーグの
スカウトからも注目される存在でした。大谷も、
メジャーに行くことを希望し、表明していたので、
日本球団はどこも獲得に名乗り出ないと思われ
ていましたが、日本ハム球団だけは、その年の
ドラフトで1位指名し、交渉権を獲得します。
そこから栗山監督を中心とする日本ハムの大谷
への“攻勢”が始まります。
 
まず、交渉時に提出したのが
『大谷翔平君 夢への道しるべ~日本スポーツ
における若年期の海外進出の考察~』
と題された30ページにも及ぶ資料でした。
そこには、高卒で直接アメリカに渡ってルーキー
リーグから始めるのに比べ、母国のプロリーグで
実力をつけた方がメジャーで活躍できる確率が
高いということを、韓国選手のデータなどから示さ
れていました。また、当時、大谷選手は、メジャー
から無理と言われていた二刀流の選択肢を捨て
ていたのですが、日本ハムからは、入団後の
“二刀流育成プラン”が提示されます。
大谷選手も、諦めていた二刀流をやってみたい
と思うようなったところで、最後、栗山監督の
殺し文句が出ます。
「誰も歩いたことのない道を歩いてほしい」
この言葉が決め手となり、日本ハム入団を決意し
“二刀流”がスタートすることになるのです。
 
この日本ハム入団がなければ、大谷選手は
二刀流の選択肢を外したままアメリカに渡り、
大リーグ昇格まで数年かかると言われ、日本の
プロ野球に比して育成環境・待遇が劣るであろう
ルーキーリーグから開始していたはずです。
そうなると今時点の大谷選手の活躍はなかった
かもしれません。
 
大谷選手の気持ちを日本ハムに向かわせたのは
球団の利益も考えながらも、彼の夢の実現を
真剣に応援したいという、日本ハムフロント陣と
栗山監督の熱意だったように思います。
監督になる前、キャスターとして大谷を取材し、
彼の夢に触れていた栗山監督は、交渉の際、
純粋に大谷という選手の望みを叶えてあげたい
という気持ちが芽生えていたのかもしれません。
 
わたしたちは、組織の中にいると、与えられた
役割と責任を考えながら動きます。特に、管理職
ともなると、成果責任が重くのしかかり、それを
第一に考えながら、管理者もしくは評価者として
部下に接していくでしょう。ただ、昨今言われて
いる通り、管理一辺倒のマネジメントでは、様々
な価値観を持つ多様な人材をまとめていくのは
難しくなってきています。管理職に求められるの
は、時に管理責任という鎧を脱ぎ、部下の成長を
支援する“サポーター”として接していくこと、
それによって一人ひとり違う強みが引き出され、
変化の早い外部環境にも、多様性のあるチーム
として対応できていくのでしょう。
 
栗山監督は、当時の大谷との交渉を振り返り、
「監督ではなく解説者になっていた」と言います。
栗山氏も、そのとき、監督という鎧を脱ぎ、一人の
応援団として交渉していたのかもしれません。
 
今後の管理職に必要なことは、組織を守る
“管理者”としての役割と、部下の成長や夢を
真剣に考えられる“サポーター”もできる
「二刀流」なのかもしれません。
 
参考文献:『ザ・殺し文句』川上徹也(新潮新書)
 
(2021.11.24 柿沼昌吾)