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2021/09/16

人事アセスメントに愛はあるのか?

(株)Human Science Plowのメルマガ担当です。
 
仕事の会話で、こんなコメントを耳にします。
「“みんな”、〇〇についてはこう考えているよ」
「“普通”、〇〇ってこういう風に進めるよね」
「前もって〇〇しておくのは“常識”だと思う」
 
この中にある“みんな”“普通”“常識”という単語。
客観的な意見を言おうとする時、よく使われる
言葉だと思います。
 
妥当な結論を出すためには、客観的な意見を入れ
つつ話を進めることは、言わずもがな、重要です。
ただ、言い方や目的を誤ると、単に相手の
主観的意見を否定し、時に、責めているように
受け取られてしまうこともあるでしょう。
特に、この会話例のように、根拠を“単語”だけで
示すと、その傾向は強くなるかもしれません。
 
【客観的】を広辞苑で調べると、
「特定の個人的主観の考えや評価から独立して、
普遍性を持っていること」とあります。
 
勿論、普遍性のある意見はとても大事ですが、
相手を論破する、もしくは、否定することを主目的
に使ってしまうと、関係性が良くない方向に行き、
たとえそれが正論であっても、以後、その人から
意見を聴きたくないと感じさせてしまいます。
 
話は飛びますが、中国春秋戦国時代の頃の話、
当時の有力者たちは高い能力と専門性を持つ
人材を集め、その知恵を借りながら自らの勢力を
拡大していきました。その高い才能を持った人々
は「客」と呼ばれ、「主人」によって丁重に迎え
入れられ、時に「主人」と同等の待遇が与えら
れた場合もあったといいます。
 
「客」は、「主人」が持つ野望、ある意味、主観的
なビジョン達成のために、自らの専門知識を提供
してきました。「主人」は「客」へ尊敬の念を持ち、
「客」には「主人」に天下を取らせたいという“思い”
や“忠誠心”がありました。
つまり、両者の間に、リスペクトや共通の思いが
あることで、時に「主人」にとって受け入れられ
難いような“客観的な指摘”も尊重されたのだと
思います。
※)このあたりは司馬遼太郎著『項羽と劉邦』に
詳しく語られております。興味ある方は是非。
 
主観・客観という言葉が、この「主人」と「客」から
来ているかどうかは定かではありませんが、
何らかの因果関係がありそうな歴史的事実だと
感じています。
 
こういった歴史からも、客観的な視点というのは、
狭い主観から視野を広げてもらったり、逆に主観
を支えるものとして、“相手のため”に使うという
スタンスが大切のように思います。
 
さて、この話を自己分析の領域にも広げて
みたいと思います。
 
自分がどういう人物であるか分析するためには、
まず、自己認識(主観)からスタートします。そして、
周りからの意見や人事アセスメントを受けることで、
その認識が広がり、知らなかった自分の特徴を
把握していくことも可能となっていきます。
 
ただ、この客観的な情報が豊富に盛り込まれて
いる人事アセスメントですが、単にレポートが
メールで送られて終わりだったら、どうでしょうか。
 
さらっと目を通し“当たっている”“当たってない”
という感想だけで、何の気づきもなく忘れ去られ
てしまうかもしれません。
 
わたしたちは、受検者の方にアセスメント結果を
お返しするときは、コンサルタントと30分以上の
セッションの機会を作って頂き、一緒にレポートを
読み込んでいきます。
 
受検者の方が持っている自己認識を話して頂き、
結果とのギャップとその理由を一緒に考えたり、
今の仕事環境を伺った上で、具体的に仕事で
活かされている強みをアセスメントからフィード
バックします。そして、将来に目を向け、ご本人が
より仕事を楽めるよう、ご自身の特徴の活かし方
を一緒に考えていきます。
 
人事アセスメントは、指標の数値や性格タイプで
バッサリと受検者を判定しまうことも多いです。
レポート返却だけだと、冒頭の会話例で言えば、
「あなた、“みんな”と比べてこんな課題ありますよ」
と冷たく言っているようにも受け取られます。
 
わたしたちは、セッションを通じて“受検者のため”
という一種の「親愛」の念を持ってフィードバック
を行います。そして、そういったスタンスが、
“客観的”なデータをお伝えする側、つまり、
アセスメントの「客」としてのミッションであると
感じております。

 
 


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